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千代の園事務所

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千代の園事務所

 皆さん日本酒はお好きでしょうか?私が住んでおります山鹿にも造り酒屋がありますよ。
明治時代は5件の造り酒屋があったそうですが、現在は1件だけになってしまいました。
名前を「千代の園酒造㈱」といい、創業は明治29年です。
ご存知でしょうか?まんがの「美味しんぼ」には「大吟醸エクセル」が紹介してあります。
女性向きの優しいお酒ですので飲んでみてください。
 熊本の風習として正月にはお屠蘇として「赤酒」を飲みます。全国的には「赤酒」のイメージは料理酒ですが、熊本では正式な時に使用する大事なお酒です。不思議ですよね。でも理由もちゃんとあります。正月 までにはゆっくりお話をしてみます。西南の役も関係しているのですよ。
 千代の園酒造ですが、事務所は山鹿市下町にあります。その姿は写真を見ていただくとよくわかると思います。2階窓には異なる形式の窓格子が3か所ありますが、皆様の感想はいかがでしょうか?
 一般的な窓格子はアルミ製ですが、この建物の窓格子部材は杉材で出来ており、大きさは15mm*24mm程度の物もあります。細いですよね。でも現在まで残っていたという事は、いかに地元の杉材の品質が良いかという事を示しています。100年以上も西日に耐えていたのですから驚きです。どうして100年以上もたっている事が判明するのかと思われるかもしれませんが、木材に残された痕跡を調べると分かります。特に部材を固定する釘には「和釘」を使用してありますので、明治前半・下手をすれば江戸末期という事を示しています。(参考までに申しますが、熊本において和釘から洋釘に変換していったのは明治10年代といわれています。今年建設100周年を迎える八千代座は勿論「洋釘」です。)
 建物を見ていただくときに注意していただきたい事は、けっして現在の姿が建設当初の姿とは限らないという事です。八千代座も明治43年の建設ですが、現在の姿は大正13年を基準にしています。千代の園事務所も下屋部分の腕木をボルトで吊り屋根を支えて、1階に板戸を取り付けられるようになっています。木製板戸ですのでボルトという近代的な金物を使用して建てた、近代的な建物用に感じられますが、1階下屋屋根を支えています腕木や、柱には持ち送り(屋根を支える部材)の痕跡が残っています。この事は、建設当時の窓の形式は「しとみ戸」等の可能性があり、建物の歴史の中で建具の形式を変更していった事を示しています。
 古い建物を見るときに少し黒っぽいイメージをお持ちの方が多いと思いますが、私は山鹿の建物につきまして別のイメージを持っています。実は「ベンガラ」(ベンガル地方の赤い土)を利用した赤っぽい建物ではないかと思っています。ハイカラですよね。調査してみますとその証拠をたくさん発見する事が出来ます。
皆さんも古い建物を眺めてください。いろいろな歴史を私たちに教えてくれますよ。

ある古民家の工事

工事前

工事前

 皆さんは住宅の耐用年数は何年だと思われますか?現在35年ローンを使用されていらっしゃる方も多いかもしれません。
そんな方にはショックかもしれませんが平均耐用年数は22~23年だというデーターを見たのは私だけではないと思います。
 耐用年数と言いましても、住宅が住めなくなった方ばかりではありません。生活様式が変わったので改修するよりも立て直したいとか、立ち退き等の社会的寿命も関係しております。ご安心ください。
 先日ですが、天保13年(西暦1842年)の絵図に載っている住宅を補修させていただきました。最低でも160年程度前に建設されましたご自宅です。この建物は歴史があるだけでなく、材料も特殊です。山鹿地方で「大黒柱」に「樫の柱」を使用してあるのは、私が知る限りではここだけです。この歴史ある建物ですが、原因は不明で「樫の大黒柱」の下部が腐ってきているのです。廻りに水気もありません。勿論束石(鍋田石という山鹿地方の凝灰岩製)がありますので直接土に接してもおりません。でも、湿気の為に柱が腐れ、建物の一部だけが下がってきているのです。不思議です。
 家の方も心配されて、知り合いの先生方にお尋ねされたのですが、原因不明です。ただ言えますのは、敷地廻りの道路は建設当時よりも高くなってきています。でも、柱位置は建物の中心に近いのですから、そこまで湿気が行くのでしょうか?私にも解りません。
 原因はともかく、この柱を補修しない限りは建物が傾きます。壁も傾斜致しますので建具も開閉も大変です。この建物を残して生活する為には柱を補修し建物を上げる必要があるのです。
 「根継ぎ」という言葉をご存じの方は多いと思います。どうしても柱の下部は腐りやすい物ですから、建物の寿命を延ばすために、柱下部の悪い部分だけを切り取って生活に支障が発生しないように改修する為の方法の一つです。
 現代の建築様式におきましては、土台木の上に柱を建てる形式ですので、困難な部分も有りますが、古民家は束建て方式です(下束石の上に柱を直接建てる方法)。お寺やお宮の床下を除いていただくと見る事が出来ます。特殊な例としては、建設当初より取り換えが容易なように全ての柱に「金輪継ぎ」を施してある物件も有りますので、日本建築は面白いです。(山鹿でも1件確認しております。切り口を見ますと、継ぎ手の時期が推定できます)現代のように建物の寿命を短く設定してないのかもしれません。
 肝心の工事の様子ですが、次回お話しさせていただきます。

工事後

 古民家の根継ぎのお話ですが、工事方法はどのような方法を想像されましたでしょうか?
 この大黒柱には、四方より胴差し(水平の床を支える梁)が来ています。屋根も昔の土葺ですし、壁も蔵風の土壁です。荷物等を含めますと十トン近くのもの荷重が来ています。
 単純に考えますと、クレーンか何かを持ってきて建物を持ち上げる事が考えられますが、家の中ですし、それは無理です。エジプトのピラミッドも人力で作られましたし、歴史のあるお寺やお宮などの強大な建物も人力で作られています。人間は賢く出来ていますので、先人たちの知恵をお借りし、昔からの道具を使用しますと簡単に作業できると考え、施工した次第です。
 答えは、「大砲ジャッキ」を使用して建物を持ち上げて根継ぎを行う施工方法で、補修工事を行ったという事です。この「大砲ジャッキ」ですが、金属の筒ではございません。木製の筒を細工し、ネジを廻して建物を持ち上げたりするものです(すみません写真は別の機会に掲載いたします)。私も正式名称は知りません。別の名前で呼ばれていらっしゃる方も多いと思いますが、まあ近代的な道具ではなく、昔の道具も良くできているという事でしょうか?
 手順と致しましては、まず既存の床を一部解体します。次に大砲ジャッキをセットし、慎重に建物を持ち上げるのですが、結構大変です。やっぱり重いですね。
 持ち上げた後は、慎重に柱下部を切断します。水平に切断しませんと、荷重の加わり方が不均等になります。柱も今風の小さい柱ではなく一般的な柱の4倍ほどあります。材質も樫という堅木ですので、切断するのも大変ですので大工の腕の見せ所です。

工事後-1

 撤去した柱ですが、「写真-1」のようにバラバラになりました。ほとんど腐っていたようです。考えてみますと、こんな状態で長年耐えていたものです。
 古民家の大黒柱は独立柱なのですが、柱下部も2方向よりカマチが差してあり、込栓(木の栓)を使用して足元が固定してありますので、カマチ下場で切断しあえて突きつけで施工しました。金輪継ぎの目的は軸力(材を縮めようとする力)だけでなく、曲げ(材を曲げようとする力)やせん断(材をずらそうとする力)に対しても抵抗する為の仕口なのですが、今回はカマチがあります。軸力だけに抵抗すればよいと判断したしだいです。

工事後-2

 結果は、「写真―2」の通りです。うまく根継ぎを行う事が出来ました。根継ぎ材の材質と致しましては、「ケヤキ」です。勿論堅い材料ですが、特に耐久性を考え「赤身」を使用しております。
 写真を見て気が付かれた方もいらっしゃるとは思いますが、今後の100年を考え湿気対策を施しております。さて、何をしたのでしょうか?別の機会に説明させていただきます。

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